青梅市・二俣尾の枡形山。かつて山城のあった標高376mの山です。
近年、登山道が整備されるも、マイナーな登山ルート。
掘割の残る城跡と優れた展望の、低山ハイクが楽しめます。
山麓の戦国武将ゆかりの海禅寺とともに、散策しました。
目次
東京郊外の、ミステリアスな戦国の城山を訪ねる旅
二俣尾駅から、枡形城へ
標高376mの青梅・枡形山。青梅丘陵から派生する尾根の山です。
山頂には城跡も残り、低山ながら展望も秀逸。
登山道も整備され、山麓から往復2時間弱で登れます。
JR青梅線・二俣尾駅。北口から、南東方向へ進みます。なお、トイレ南口のみです。
30mほど歩き、路地を左折します。
200mほど進めば、青梅丘陵・名郷登山口です。
春はシャガの花も美しい道を往きます。
登山口から少々歩くと、右手に鳥居が現れます。
鳥居の近くには、道標もあります。鳥居をくぐり、枡形山方面へ。
このルートは、国土地理院の地図では未載ですが、しっかりとした道です。
歩く人も少ないルートですが、意外と整備されています。路幅が狭い箇所もあるので、ご注意を。
新緑のころは、芽吹きも美しい道。
木の間から、里が望めます。
駅から30分程度で、枡形山に到着しました。
枡形山から、海禅寺へ
戦国時代、山城のあったとされる枡形山。
城跡だけに、東方面の展望が優れます。丸太の椅子もあり、小休止にも最適です。
山頂には、祠があります。木に隠れ気味ですが、青梅丘陵・辛垣山方面の山も望めます。
ご神木でしょうか?
堀割の跡がでしょうか、山頂を中心に、凹地があります。
地形的に、枡形城があったことは確実ですが… 誰が築城したのかは、定かではありません。
有力説は…
などがあります。
筆者としては、三田氏説かなと。
というのも、三田氏はこの付近の地形を活かし、多面的な防衛と兵端システムを築いていました。その一環として、枡形城があったと考えるほうが、しっくりします。
三田氏・辛垣城と、その歴史的背景は、歴史のあだ花? 青梅・あきる野で散った、戦国の山城をご覧下さい。
春は、山桜も美しい山城跡。
山頂から、南へ少し下ると、鳥居が出現。
山桜と、ツツジと、御岳の山々。
鳥居越しに、御岳山・奥の院も見えます。
奥の院の詳細は上記をどうぞ!
城跡を散策したら、ツツジの咲く道を下ります。
春はスミレの多い枡形山。
ミヤマシキミの群落も。
展望の利く山頂付近から、森へと下ります。
部分的に舗装も… 整備しすぎな感もありますが、雨の日も歩きやすい道でしょうか。
御神酒も供えられた「山神」。
巣箱も設置されていました。
木の幹には、猿の腰掛け。
沢沿いの道となり、ニリンソウも風に揺れます。
ほどなく、舗装道路に到着。右折し、海禅寺・二俣尾駅方面へ進みます。
海禅寺に到着。春は桜も見事な古刹です。
三田氏ゆかりの、海禅寺
海禅寺は、曹洞宗の禅寺。室町時代創建の古刹です。
海禅寺は、三田氏の菩提寺。枡形山の麓に相応しい寺です。
境内には、三田氏の供養塔があります。
三田氏最後の首領、三田綱秀の首塚。五百年の月日があるも、花が添えられます。
参拝を終えたら、境内を散策。春はシャクナゲ、菜の花も美しい古刹です。
6月には、セッコクの花も咲きます。
鐘撞き堂も見逃せません。よく見ると、天井画が描かれています。
寺の前の踏切を渡り、青梅街道へ。街道沿いに総門があり、「不許葷酒入山門」の石碑もあります。酒を寺に持ち込むな、的な意味でしょうか。
青梅街道を右折、JR二俣尾駅までは、目と鼻の先です。
時間が許せば、吉川英治記念館、愛宕神社などに立ち寄るのも良いでしょう。
インフォメーション
マップ
JR青梅線・二俣尾駅 …〈10分〉 … 枡形山登山口…〈30分〉… 枡形山 …〈25分〉… 海禅寺 〈5分〉… JR青梅線・二俣尾駅
ー計1時間10分ー
コースの状況など
- 山麓から30分程度で登れる山。
- 短いものの、登りは急登もあり。
- トイレは、JR二俣尾駅・南口にある。
- コース上、水場はない。
- 駅南口に酒屋さんが1軒、24時間営業のコンビニはない。
三田氏は、戦国時代1560年頃まで、この地を治めていた豪族。小田原・後北条氏の侵略に備え、現在の青梅丘陵・辛垣山(標高458m)に築城。その補完をするために、辛垣城を築城した。
三田氏の辛垣城を攻めるため、前線基地として築城した。