急峻な多摩川沿いの青梅街道。
江戸時代中期に「数馬の切通し」が切り開き、奥多摩、さらには甲州へと通じました。
当時の面影が残る古道を、散策しました。
目次
今なお残る、数馬の切通しを散策する小旅
青梅街道・最大の難所を切り開いた、数馬の切通し
江戸幕府が開幕し、徳川家康は、江戸城を大幅増築。外壁の漆喰を確保するため、石灰の産地、青梅・成木に白羽の矢が立ちます。
江戸から青梅・成木まで、石灰を運ぶ街道として、青梅街道は整備されました。
青梅街道の歴史の詳細は下記をどうぞ。
その後、生活道路として、武蔵御嶽神社への参道として青梅街道は西へ伸びますが…
多摩川沿いの青梅街道、上流は険しい渓谷。時には川から離れ、高巻きします。
数馬の切通しは、元禄時代、迂回路の岩を切り開いた道。岸壁に阻まれた難路が、安全に通行できるようになりました。
当時の土木技術としては、かなりの難工事。その甲斐あって、青梅街道は氷川(現在の奥多摩駅付近)、さらには大菩薩峠を超え、甲州へと道が開けました。
白丸駅から、数馬の切通しへ
数馬の切通しは、散策路として整備されています。
30分少々で踏破できますが、変化に富んだスリリングなコースです。
起点は、JR青梅線・白丸駅。都内で一番乗降客数の少ない駅です。2010年には、一日平均74人でした。
当然、無人駅です。斜面が広がる山の集落にあります。
改札を出て踏切をわたり、西側の道を往きます。
道の石垣には、サボテンの花。山の里なのにトロピカルです。
しばらく歩くと、川合玉堂・詩の碑。
「名に負える天地岳は人知らず 奥多摩槍といわば知らまく」
白丸ゆかりの日本画家・川合玉堂。「奥多摩槍」とも呼ばれた天地岳に、畏敬の念を抱いたのでしょうか?
JR青梅線・御嶽駅近くには、玉堂美術館もあります。帰りに途中下車するのも良いですね。
指導標もあり、安心して歩けます。
山の斜面を巻く道を進むと、杣入観音堂に到着。十一面観音像が安置されるも、内部は非公開です。2021年には、東京都有形文化財に指定されました。
杣入観音堂から100mほど歩くと、数馬の切通し入口です。
杉林の道を進みます。
春はヒメウツギも花咲く道。
多少の登りはありますが、よく整備されています。
沢を回り込むようにカーブすると、まもなく数馬の切通しです。
岸壁の、数馬の切通し
切通しの手前に、案内板と地図があります。
右手には供養碑も。
核心部の切通しを歩きます。数メートルの高さとはいえ、山奥の岩を砕く工事は、さぞ大変だったでしょうね。
岩の間を抜けます。
左は岸壁、右はガードレール、狭い道を往きます。
少し進むと、行き止まりに。ここから先は歩けません。
明治時代の青梅街道と現在の地図を重ねると…
緑色が旧道です。
現在の白丸トンネル・西側の出口付近に下っていた模様。トンネル工事で、道が失われたのかも?
数馬の切通しの手前に戻ります。左に石段を登ると神社があります。
苔むした木と神社の祠。地味ですが、どことなく良い光景。
数馬の切通し入口まで戻り、右折して青梅街道へ。
青梅街道へ下ります。右手には白丸トンネル。かつて岩を切り開いた道も、今はあっけなく通過します。
白丸トンネルの南には、数馬隧道も現存。
大正時代に素掘りで開削され、今でも歩行できます。
現在の白丸トンネルの開通は1973年。高速道路が整備され始めた時代に、この隧道が使われたと思うと、不思議な気分になります。
せっかくなので、近くの数馬峡橋に立ち寄ります。橋を上からは、多摩川・数馬峡の絶景!
下流に白丸ダムがあるためか、水面が鏡のようです。
霧が出ると幻想的な光景となります。意外と梅雨時もオススメなスポットです。
白丸湖の詳細は、夏でも涼しい!白丸ダム(白丸調整池)魚道から、鳩ノ巣渓谷を歩くをご覧ください。
橋のたもとには、川合玉堂の碑もあります。
多摩川の光景を堪能したら、青梅街道へ戻り右折、白丸駅に戻ります。
「草木沢橋」交差点を左折し、駐輪場・左の階段を登ると、白丸駅です。
インフォメーション
マップ
JR青梅線・白丸駅 …〈10分〉…数馬の切通し・入口 …〈10分〉… 数馬の切通し…〈10分〉 … 数馬峡 …〈5分〉… 白丸駅
ー計35分ー
コースの状況など
- 数馬の切通しハイキングコースは、整備されている。
- トイレは、白丸駅にある。
- コンビニは近くにはない。