明治時代の文学家・小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)。
八雲の代表作のひとつ「雪女」は、東京・青梅に伝わる民話をもとにしています。
今は滅多に雪が降らない東京で、なぜ「雪女」が伝承さたのでしょうか?
目次
「雪女」が伝承されるほど、東京は寒かったのか?
小泉八雲とは?
父方はアイルランド、母方はギリシア人のイギリス人、ラフカディオ・ハーン。
19歳でアメリカに移住し、文筆家と名を馳せ、40歳で来日。日本人と結婚し帰化し「小泉八雲」と名乗ります。
日本各地の伝承を研究し、独自の解釈を加えた再話を発表します。
代表作稲むらの火では、 TSUNAMI(津波)という単語を、世界に広めたほど、内外で親しまれています。
「雪女」のあらまし
小泉八雲が晩年執筆した「雪女」。
現在の東京・多摩地方で古くから伝わる物語を、再構築した話です。
著作権が切れ、青空文庫では無料で読めます。
要約すると…
雪女との約束
武蔵の国(現在の東京・埼玉付近)の村に、茂作、巳之吉という木こりがいた。
森へ出かけ、帰り道で吹雪に遭遇。川を渡り帰るつもりだったが、渡し船が向こう岸。
しかたなく、渡し守の小屋へ避難し、嵐が止むのを待つ。
夜となり吹雪は強まる。小屋の戸が開き、白装束の女 〜雪女〜 が現れた。
雪女は、年老いた茂作に息をかけ、殺してしまう。
そして、巳之吉に…
「あなたも殺そうかと思ったが、若い美少年だから許してやる。ただし、今晩のことは、誰にも言うな。言ったら、あなたを殺す」
巳之吉と、お雪の結婚
命を救われた巳之吉も、やがて大人となる。
偶然出会った、お雪という美しい娘と、結婚。
美しいだけではなく、良妻賢母のお雪。十人の子宝にも恵まれ、巳之吉は幸せな家庭を築く。
破られた約束
ある晩巳之吉は、お雪に言った。
「お前とそっくりな女と、昔出会った」
「その人は、どこであったの?」
巳之吉は、小屋での出来事をお雪に語ると…
「それは私です。あなたは約束を破った。本来なら、あなたを殺さねばならない。でも、子供がいるから殺せない。もし、子供が不幸になるようなことがあったら、私は許さない」
お雪は、白い霞となり、消えてしまった。
「鶴の恩返し」「浦島太郎」と同じく、「禁を犯すと、悲劇が訪れる」話です。
いつも思うのですが…
民話の被害者って、大体、男です。それも、女の出生が悲劇のもと。女の過去を暴いてはイケナイ、という教訓なのですかね(笑)
それはともかく。
「雪女」にこめられた、バックグラウンドを考察すると…
- 自然の脅威
豊かな自然も、時には牙を剥く。吹雪の恐ろしさ、天気の急変など、山村ならではの寓話。 - 生と死
川の「向こう側」から生還した巳之吉。
「三途の川」に代表されるよう、川は生と死を分け隔てる象徴。 - 母性愛
約束を破った巳之吉を、あえて助けた理由は、子供たちの幸せ。雪女(妖怪)とはいえ、母性愛は偉大。 - 裏切りと因果報応
これは、説明するまでもありませんが… 信頼関係こそが、共同体の基盤であること、を伝えたいのでしょう。
雪女の舞台は、東京・青梅
「雪女」伝説は、日本各地にありますが…
小泉八雲の話は、東京都・調布村(現・青梅市)の伝承を基に書いた、といわれます。
「ロケ地」巡り?をしてみましょう。
多摩川に架かる調布橋。青梅と五日市(あきる野市)を結ぶ、秋川街道(都道31号)の橋です。
昔の雪山には、到底及びませんが… 橋から、雪をかぶった里山も見えます。
もっとも、これだけ白くなるのは、年に数回有るか無いかの、降雪直後ですが。
橋の少し下流に「千ヶ瀬の渡し」がありました。「渡し守」の小屋がありそうな、雰囲気ですね。
橋が架かったのは1922年、「雪女」の出版が1904年、書いた当時は、渡しは現役でした。
橋の左岸に、小さな広場があります。
広場には、「雪おんな縁の地」の碑。
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の肖像と、序文のプレートも。
橋から日の出も望めます。巳之吉さんも、吹雪の翌日に観たかも。
「千ケ瀬の渡し」の下流にある、下奥多摩橋。川が蛇行し、奥多摩方面の眺めが良いポイントです。
江戸時代は、青梅でも吹雪になったのか?
ところでギモンが…
吹雪くような荒天が、山裾の街とはいえ、東京・青梅で起こりうるのでしょうか?
上のグラフは、グリーンランドの過去2千年の気温の変動。氷床に封じ込まれた元素を用いて、過去の気温を推測しています。
過去2千年では、西暦1700年くらいに、気温が大幅に低下、小氷河期が訪れています。
現在よりも、3.5度ほど気温が低かったのですね。
日本では、江戸時代の中頃、元禄時代の頃です。
江戸時代の絵師、歌川広重の浮世絵です。増上寺、つまり東京タワー近辺ですが、雪景色です。道を歩く人を見ると、20cmくらいは積もっているようですね。
また、1773年には両国川(隅田川)が結氷し、水路が閉ざされ物価が高騰した、という記録もあります。
江戸時代の青梅は、北海道並みの寒さ?
「雪女」の舞台・江戸時代の青梅は、どの程度寒かったのでしょうか?
グリーンランドでの推測を基に、現在より3.5度低かった、と仮定。
その気温を、現在の札幌、函館と比較してグラフにしました。
値は、1日の最低気温の、過去30年間の平均値です。
12月下旬から1月上旬にかけては、なんと函館より寒い!
1月上旬に至っては、札幌とほぼ同じという結果となりました。
これは、かなりの寒さ、北海道並の厳寒です!
また、標高が百メートル上がると、気温が0.6度下がると言われます。とすると、江戸時代の青梅・調布村は、現在の御岳山に近い気温となります。
吹き溜まりとなる川沿いは、相当な積雪があったのでしょう。
東京・青梅に、雪女伝承があるのも、不思議ではありませんね。
インフォメーション
調布橋へのアクセス
JR青梅線・青梅駅より、徒歩20分
「雪女」の里山を歩く
雪女の舞台となった青梅の丘陵地帯と多摩川。
今は降雪直後でない限り、冬でも気軽に歩けるハイキングコースが点在しています。
オススメは、野草の咲く春。紅葉の秋も捨てがたいですね。
詳しくは、下記をご覧ください。