国木田独歩も、推し活! どこまでが武蔵野か、歴史と地形で紐解く

国木田独歩をはじめ、人々に愛される「武蔵野」。
その範囲や解釈は様々です。
独歩の愛した雑木林が、今なお残る武蔵野。
地理的な観点もふまえ、その歴史を紐解きます。

どこが武蔵野? どこまでが武蔵野なのか?

武蔵野のイメージは、人それぞれ?

石神井公園の紅葉

筆者は青梅市在住。いわゆる「武蔵野台地」の西端に住んでいます。
実家は武蔵野市、国木田独歩の「武蔵野」にも散策する様子が描かれています。
そんな筆者がギモンに思うのが、「武蔵野」の範囲です。

  • 青梅をはじめ西多摩は、武蔵野なのか?
  • 八王子は、武蔵野に入れるべきか?
  • 埼玉も、武蔵野なのか?

そんなワケで「武蔵野」は結構、ヤヤコシイ。
武蔵野市は武蔵野線沿線だと勘違いされること、枚挙にいとまがない…
さかのぼれば「武蔵国」は、現在の埼玉・東京のほぼ全域と神奈川の一部ですし。
日本最古の貨幣「和同開珎」は、武蔵国秩父に遺跡があるくらいで、歴史も長いです。
そんな「武蔵野」のアレコレを、紐解いてましょう。

国木田独歩の「武蔵野」

府中市・浅間山公園の雑木林
府中市・浅間山公園の雑木林

武蔵野といえば、国木田独歩。国木田独歩といえば「武蔵野」。
自ら散策し、雑木林をはじめ武蔵野の良さを描いた随筆です。
1901年に発表するも、あまり売れず、新聞社や出版社に勤め、生計を立てたといいます。

著作権に切れた「武蔵野」は、青空文庫で無料で読めます。なお、明治の随筆でやや読みづらく、現代語訳もあります。
独歩はどの辺りを「武蔵野」と定義したのでしょうか?

そこで僕は武蔵野はまず雑司谷から起こって線を引いてみると、それから板橋の中仙道の西側を通って川越近傍まで達し、君の一編に示された入間郡を包んで円く甲武線の立川駅に来る。この範囲の間に所沢、田無などいう駅がどんなに趣味が多いか……ことに夏の緑の深いころは。さて立川からは多摩川を限界として上丸辺まで下る。八王子はけっして武蔵野には入れられない。そして丸子から下目黒に返る。この範囲の間に布田登戸二子などのどんなに趣味が多いか。以上は西半面。
 東の半面は亀井戸辺より小松川へかけ木下川から堀切を包んで千住近傍へ到って止まる。この範囲は異論があれば取除いてもよい。しかし一種の趣味があって武蔵野に相違ないことは前に申したとおりである――

青空文庫 国木田独歩「武蔵野」より、引用

赤字やアンダーラインは筆者がマーキング。八王子は武蔵野ではない、と断言しています。
独歩さん、多摩川より西は、あまりお気に召さない?
面白いのは、亀戸や堀切など、東京東部も「武蔵野」としていること。
この付近、富士山・筑波山の眺めもよく、独歩的にはオススメ・ビュースポットなんですね。

独歩的「武蔵野エリア」を地図上を囲んでみました。
川越はもちろん、「入間郡を包む」ということで、埼玉県入間郡・毛呂山(もろやま)町付近も「武蔵野」としました。
青梅在住の筆者としては、西多摩には触れていないのが、チョッピリ残念ですね。

しかしその市のくる処、すなわち町ずれはかならず抹殺してはならぬ。僕が考えには武蔵野の詩趣を描くにはかならずこの町れを一の題目とせねばならぬと思う。たとえば君が住まわれた渋谷の道玄坂の近傍、目黒の行人坂、また君と僕と散歩したことの多い早稲田の鬼子母神あたりの町、新宿白金……

青空文庫 国木田独歩「武蔵野」より、引用

独歩の時代は、新宿・渋谷も「町外れ」の武蔵野。現在の都庁の場所は、淀橋浄水場でした。
「武蔵野」を発表する3年前に、玉川上水から水路を引きました。広大な浄水場や水路を、造れるような郊外だったのでしょう。

自分が今見る武蔵野の美しさはかかる誇張的の断案を下さしむるほどに自分を動かしているのである。自分は武蔵野の美といった、美といわんよりむしろ詩趣といいたい、そのほうが適切と思われる。

どの路でも足の向くほうへゆけばかならずそこに見るべく、聞くべく、感ずべき獲物がある。武蔵野の美はただその縦横に通ずる数千条の路をもなく歩くことによって始めてられる。

青空文庫 国木田独歩「武蔵野」より、引用

それにしても、独歩は武蔵野に、心底惚れています。
淡白で繊細な文飾の根底には、熱い想いが込められているかと。これはもう、ある意味「推し活」です。ページをめくれば、週末にでも、武蔵野散策したくなりますよね。

地形で考える、武蔵野とは

地図で可視化する、武蔵野台地

青梅丘陵から、武蔵野台地を望む
青梅丘陵から、武蔵野台地を望む

文学者として、超一流の国木田独歩ですが…
自身が惚れ込んだ亀戸など下町も「武蔵野」として推しています。本人も薄々感じて

この範囲は異論があれば取除いてもよい

などと、書いています。一般的に「武蔵野」といえば、「台地」のイメージでしょう。

武蔵野台地・概念地図
地理院地図より引用し、加工・画像処理

国土地理院・電子国土Webの「地形分類」で武蔵野を可視化してみましょう。
大まかに地形で色分けします。

  • 水色… 低地
  • ベージュ… 台地・段丘
  • グリーン… 丘陵・山地

「武蔵野 ≒ 武蔵野台地」は、東は荒川、南は多摩川に挟まれています。
北側の入間台地も武蔵野とする説もありますが… 意外と入間川流域の低地は広く、ここでは含めていません。

武蔵村山の雑木林
武蔵村山の雑木林

所沢はもちろん、川越も8割方、武蔵野台地。青梅や羽村など、多摩川左岸の自治体も入ります。もっとも、奥多摩などの山間部は、含まれません。

皇居は吹上御苑のある高台は武蔵野ですが、大手門は低地。ちなみに御所は標高25m、大手門は3m、実に22mもの標高差があります。
徳川家康が江戸に移った際、江戸城の東側は海でした。実は丸の内も埋立地なのです。

武蔵野台地・標高断面図

このグラフは、東京駅〜多摩西部・福生までの地形の断面図。
台地とはいえ、神田川などの河川も、それなりにあります。とはいえ、東側の低地からの立ち上がり以外は、比較的なだらかです。

武蔵野台地を囲む丘陵は「武蔵野」を俯瞰するビュースポット。トレッキングコースも整備されていますよ!

縄文時代、武蔵野台地は海岸だった?

縄文時代の東京湾の様子と、貝塚の分布図。
江戸東京博物館公式アカウントのTwitterです。
いわゆる「縄文海進」で海面は現在より2〜3m高く、現在の埼玉県川越市・久喜市栗橋、そしてなんと茨城県古河市付近が海岸でした。

東京湾・武蔵野台地、縄文時代の海水面の地図
縄文時代の東京湾
地理院地図より引用し、加工・画像処理

現在の地形をもとに、3m、7m海水面が上昇した時のシミュレーションしてみると…
7m上昇ラインで、貝塚が海岸線にキレイに並びました。武蔵野台地の東側は、まさに海岸線だったのでしょう。

埼玉・川口や越谷まで水没した荒川にくらべ、多摩川は意外と海進していません。
武蔵小杉辺りが河口。タワーマンションならば、さしずめ湾岸です。

多摩川・河川敷、昭島クジラ発見場所
昭島クジラの発見場所付近

1961年、昭島市・多摩川河川敷で、小学校の先生とその息子さんが、クジラの化石が発見。先生とはいえ、専門は国文学、世の中をアッと言わせました。
のちの調査で、おおよそ200万年前の化石だと推定されました。

東京湾・武蔵野台地、アキシマクジラ・200万年前の海水面の地図
200万年前の関東
地理院地図より引用し、加工・画像処理

昭島の標高は約100m。仮に現在より100m海水面が高ければ、上の地図のような感じに。
立川も海の底、武蔵野台地の東は海でした。

もっとも、200万年前は伊豆半島はまだ島。富士山も海底火山ですらなかった時代です。
関東ローム層が武蔵野台地に覆い始めるのは100万年前頃、堆積物も少なかったでしょう。
地図は参考程度にとどめてください。

「武蔵野市」は混乱を招く?

府中市・浅間山公園のキンラン
府中市・浅間山公園のキンラン

独歩は、感性というか、エモーショナルに「武蔵野」を定義しました。
それに対し、地形的に「武蔵野」を区分する考え方もあります。
人それぞれの「武蔵野」があり、それが混乱でもあります。
その混乱に、更に輪をかけるのが「武蔵野市」と「武蔵野線」です。

武蔵野市・井の頭公園の雑木林
武蔵野市・井の頭公園

「武蔵野市」は、東京・多摩東部の人口約15万人の都市。全国でも指折りの、財政が健全な自治体です。
でも「武蔵野市」の知名度は、悲しいかな低め。
市内の繁華街、吉祥寺のほうがずっと有名です。Googleの検索サイト数でも1.5倍程度、吉祥寺の方は多いです。市内の町名に負ける「市名」って、ちょっと微妙…
冒頭でも書きましたが、武蔵野市に住んでいた時、「武蔵野線沿線の町」と間違えられました。

1889年に、吉祥寺、西窪、関前、境の4村と井口新田飛地が合併し、武蔵野村となります。その後、武蔵野町を経て、1947年に市となります。
武蔵野村発足は、独歩が「武蔵野」を発表する以前。随筆にあやかり、名付けたのではありません。

なぜ「武蔵野村」としたかは不明ですが、広義の「武蔵野」と、いち自治体名が混在する形となりました。

「武蔵野線」は、武蔵野以外が大半?

武蔵野線と武蔵野台地
地理院地図より引用し、加工・画像処理

東京・府中本町と、千葉・西船橋を結ぶJR武蔵野線。首都・東京の環状・鉄道路線です。

「武蔵野線」も中々、微妙なネーミングです。荒川鉄橋より東側は、少なくとも「武蔵野台地」ではありません。地図を見ればわかりますが… 路線の半分以上は「武蔵野」以外を走ります。

松戸市・八ヶ崎付近では、利根川流域も通ります。
千葉県内にいたっては「武蔵国」でもありません。
混乱を招くだけではなく、千葉県の方も面白くないかと。

松戸・本土寺のアジサイ
松戸・本土寺

もっとも、総武線(総国と武蔵)は既にあり、「京葉」だと湾岸のイメージ。(武蔵野線の開通は、京葉線開通前で、命名する気になれば出来た)地名での線名に苦慮したのかもしれません。
ならば「首都外環線」などとすれば、混乱しないでしょう。

「青梅線」「横浜線」とように、沿線の主要な地名を付ける路線もありますが…
「武蔵野」の場合、広域な地名で、路線のイメージがつかみにくい。なおかつ沿線外に「武蔵野市」もあります。こういってはナンですが「筋の悪い」路線名ですね。

新座市・睡足軒の紅葉き
新座市・睡足軒の紅葉

と、武蔵野線をクサしてしまいましたが… ネーミング以外は、沿線も魅力的です。
国分寺、所沢、新座など、古き良き武蔵野の面影が残るエリアです。他の武蔵野台地同様、週末に散策すると楽しいですね。

インフォメーション

参考文献

多摩エリアの話題

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