あきる野市・横沢の大悲願寺。
9月中旬から10月にかけて、白萩の花が咲き誇る古刹。
白萩の他にも、秋の花々が境内を彩ります。
里山に抱かれた花の寺に、足を運んでみました。
白萩咲き誇る、歴史ある古刹
伊達政宗の書簡の謎と、白萩
あきる野市・横沢の大悲願寺。
鎌倉時代初期の創建の、真言宗のお寺です。
1911年に創建され、白萩で有名な古刹。
秋になると境内の白萩が、風にそよぎます。
この白萩ですが、伊達政宗ゆかりの花でもあります。
江戸時代、伊達政宗は、秋川に鮎釣りに出かけ、帰りに大悲願寺へ立ち寄ります。
あまりの見事さに、後日、花を分けてほしいと、寺に書簡を宛てたとか。
その「白萩文書」が、大悲願寺に今でも所蔵されています。
しかし、一説によると…
東京都あきる野市に、大悲願寺という寺があり、注目すべき記録が残されている。
Web歴史街道 小田原参陣前、伊達政宗は弟・小次郎を殺してはいなかった!?
寺の15代目住職の秀雄が、政宗の弟だというのである。
大悲願寺には、元和8年(1622)8月21日、当時の住職である13代目・海誉上人にあてた、政宗の手紙が伝わっている。
内容は、大悲願寺を訪れた政宗が庭に咲いた白萩の美しさに心奪われ、江戸に帰ってから株分けを所望したものである。
この手紙の包み紙の内側には、「実は大悲願寺の15代目住職の秀雄は、伊達輝宗の末子で、伊達政宗の弟である」と記されている。
これを書いたのは、江戸時代中期の住職・如環とされ、彼は大悲願寺の過去帳(『福生市史資料編 中世寺社』に全文翻刻されている)も整理している。そしてその過去帳に、如環が秀雄を政宗の弟と記した根拠があった。
詳細は、引用先のサイトをご覧頂くとして…
政宗は母親に毒を盛られ、殺害されそうになりました。
母親は、政宗の弟・小次郎を世継ぎにしたかった。
政宗は母を殺すわけにいかず、やむなく弟を殺害した、というのが通説ですが…
しかし、実は殺さずに、大悲願寺に匿い住職となった、というのが、この説。
「信に過ぐれば損をする」との遺訓を残した、現実主義の政宗なら有りる話ですね。
もし、これ事実ならば、「白萩」は何を指すのでしょうか?
能天気に、白萩を分けて貰いたい、という話でもない筈。
例えば…
政宗は、弟意外にも誰か、隠し子でも寺に匿い、政宗の元に連れてきて欲しい…
もしくは、幕府に秘匿の物資を、弟の寺に隠し持っていたとか…
手紙に託した、今はもう知る由もない謎。
そんな想像、というか、妄想も広がりますよね。
秋の花が彩る、境内
大悲願寺の創建は、1191年。
歴史ある古刹だけあり、風格がそこかしこに漂います。
その境内に、秋の花が咲き誇ります。
白萩だけではなく、赤い萩も咲いています。
境内、ではありませんが、駐車場には彼岸花。
白いサルスベリ。
サルスベリとしては、かなりの大木です。
弘法大師も、白萩に囲まれています。
観音堂。
かなり、精巧な彫刻が施されています。
観音堂の、左には極楽、右には地獄の堂宮彫刻。
できれば、左にはお世話になりたくない…
今からでも遅くない、精進しましょう(笑)
大悲願寺は、真言宗のお寺。
お砂踏みという、遍路道があります。
詳しくは、この記事を…
遍路道には、真っ赤なサルスベリが。
彼岸に出かけましたが、少々終わりかけですが、キレイですね。
遍路道には、橋もあります。
モミジも多く、秋は錦織でしょうね。
400年前の白萩にも思い馳せる、歴史と花の小旅。
美しい白萩の秘密を探しに、出かけてみませんか?
インフォメーション
アクセス
JR五日市線・武蔵五日市駅より、徒歩20分
駐車場… 有り
問い合わせ先
大悲願寺
住所… 東京都あきる野市横沢134
電話… 042-596-0141
あきる野市
Webサイト… https://www.city.akiruno.tokyo.jp/
電話… 042-558-1111(代表)