2024年、開業130周年を迎えるJR青梅線。
石灰、砂利を運ぶいくつもの支線・引込線がありました。
その殆どは忘れられ、跡地は宅地や商業施設に。
かすかに残る廃線跡を、古地図を元に散策しました。
目次
古地図片手に、青梅線廃線跡を歩く
青梅線に原点は、石灰輸送だった
2024年に開業130周年を迎える、JR青梅線。
1894年(明治27年)に前身の「青梅鉄道」が開業しました。
また、青梅線130周年と併せて、青梅駅舎も100周年を迎えます。
日本初の鉄道は1872年の新橋・横浜間、その22年後に開通です。
山手線・全線開通は1925年。その31年もの前、東京西端の郊外に、なぜ鉄道が?
明治の富国強兵下、青梅で採取した、石灰を運ぶために敷設されたのです。
江戸時代より、青梅は石灰の産地。
もとより青梅街道も、青梅・成木で採掘された石灰を運ぶ道として、造られました。
青梅街道の歴史についての詳細は、四つの顔を持った青梅街道、江戸・二百余年の歴史をたどるをどうぞ。
多摩川の砂利、工場への引込線も
石灰輸送と並び、多摩川の砂利輸送も担いました。
下河原線(武蔵野線の一部)、南武線、西武多摩川線などと同様、大消費地・東京に近い適地だったのかと。
また、軍事基地・飛行機工場なども点在する青梅線沿線。
戦前の陸軍基地や、関連航空産業工場への引込線もありました。
山へ川へ工場へと延びた、忘れがたき鉄路たち。
今回は昭島市内の、基地・工場への廃線跡を訪ねてみました。
立川基地引込線
中神駅から、転轍機モニュメントへ
中神駅北側から、立川基地への引込線です。
1943年に陸軍・航空工廠(こうくうこうしょう)として開通します。
戦後、アメリカ空軍が接収し、1.9kmの専用線として航空機燃料等を輸送。
基地返還の1978年に、廃止されました。
上は1960年代の地図。
東側の現・昭和記念公園と併せて、広大な敷地を有していました。
廃線跡巡りの起点は、JR中神駅。
北口から線路沿いの道を、立川方面へ進むと、多摩大橋通りのアンダーパスを越えます。
アンダーパスの少し中神駅寄りが、支線の分岐です。
アンダーパスから50m強進み、左折。この付近は住宅地となり、廃線跡を忠実に歩けません。
150mに進み、三叉路を右折し、20mほど進むと…
「中神引込線通り」が現れます。その名通り、立川基地へと向かう、廃線跡の道を左折します。
しばらく、引込線通りを進むと、右手に「富士見湯」。
昭島には2軒のみ、西多摩には銭湯はなく貴重な存在です。
ロビーには、マンガ・雑誌が7千冊!帰りに、ひと風呂浴びるのも良いかも?
昭島といえばクジラ。1961年に多摩川河川敷で、200万年前のクジラの化石が発見され、大注目されました。
引込線通りを約750m進と、道が二股に分かれます。かつての引込線もここで分岐し、2路線となります。
レールと転轍機(ポイント変換機)も展示。
昭島市の説明板も。引込線跡をキチンと整備し、好感が持てます。
重いのか、錆びたのか、それともストッパーがあるのか… 転轍機は動かないようです。
立川基地跡地の、むさしの公園へ
取りあえず、左側の道を進みます。それにしても、クジラづくしですね!
カーブを描く引込線跡。
2車線の道と合流します。この道は、かつて、丹沢・大山参りに使われた古道「大山道」でした。
もう1本の引込線跡も、歩いてみました。途中までは廃線跡沿いですが…
大通り(富士見通り)にぶつかり、そこから先は公園の敷地となります。
大山道「むさしの公園」交差点を渡ると、市立むさしの公園・西部に到着。
交差点から東は、立川基地の跡地です。
公園にはクジラの遊具も。持ち手が潮吹で、秀逸なデザイン!
道を隔てた東側も、市立むさしの公園。小さな芝生の山があります。
山の南西・山麓部?に、線路のモニュメント。
当時の空中写真で確認すると、この付近に線路があったと思われます。
山から見た線路モニュメント。
アスファルトに埋めるあたり、芸が細かい!
山の南東部にもモニュメント。この付近が、引込線の終端です。
ホーム風の休憩所もあります。
当時のレールなどを使い、モニュメントながら風格があります。
線路の断面。間近で見る機会、あまりないかも。
線路脇の機器。「乾式コントロールボックス」と書かれています。
立川基地引込線跡は、廃線跡もほぼ歩け、散策が楽しめます。市がモニュメントを設置しているのも良いですね。
昭和飛行機引込線
昭島駅を起点に、謎解き?
折角なので、お隣、昭島駅近くの、昭和飛行機引込線も歩いてみました。
1937年に設立された、昭和飛行機工業。戦前、ダグラスDC-3のライセンス生産を手がけたメーカーです。
戦後、GHQより飛行機生産を禁止されるも、YS-11計画にも参加。
現在もC-2輸送機・P-1哨戒機などの分担生産をしています。
戦前、工場への輸送のため、引込線が敷設されました。
正確な敷設時期は不明ですが… 1944年4月の駅構内進路図には記載されていました。
戦後は、米軍が昭和基地として接収。
飛行場とゴルフコースは、1969年に昭和飛行機工業に返還されました。
返還後、ショッピングモールのモリタウン・昭和の森ゴルフコースなどを建設。引込線は撤去されます。
その後、昭島駅は、西多摩ではもっとも栄える駅となりました。
上の地図は1969年前後に、東京都が作成した地図。名称は「昭和飛行機工業・株・国鉄引込線」と記されています。米軍ではないのが、ちょっと興味深いです。
1968年の空中写真では、工場と引込線、そして広大なゴルフ場があったようです。
広大な横田基地、立川基地の間に位置し、補佐的な利用だったのでしょうか?
引込線跡の散策は、昭島駅北口が起点。
とはいえ廃線跡を辿るにも、ほぼ面影はありません。単体だと物足りない感じで、立川基地引込線と併せて楽しむのが良いかと。
駅北口の自転車置き場付近から、引込線が分岐したと推測されます。
モリタウンの裏手から引込線が北西へ延び…
モリタウンの核店舗、イトーヨーカドーを斜めに突っ切る感じでしょうか。
駅前通りを横断し、モリタウン・アウトドアヴィレッジ付近まで、線路が延びていました。
昭島駅周辺は、広々とした計画都市。住み心地は良いでしょうね。
面影が皆無ですから…
昭和飛行機工業引込線は、「古地図で楽しむ」廃線跡巡りでしょうか?
モリタウン入口右手のなかのグリルのハンバーグは絶品。
春ならば、昭島駅から徒歩30分の、日吉神社の拝島の藤を愛でるのも良いでしょう。
日吉神社・右手には、大日堂のお寺も。塀もなく、同じ敷地に神社とお寺が共存しています。
インフォメーション
近くのオススメスポット
参考文献
- 昭島 水と記憶の物語 昭和基地本館跡
https://adeac.jp/akishima-arch/top/space/spaceG/G1.html - 昭島 水と記憶の物語 昭島消えた五つの鉄道
https://adeac.jp/akishima-arch/top/understand/1320715100400020.html - 昭島 水と記憶の物語 福島の渡し道標
https://adeac.jp/akishima-arch/top/space/spaceD/D1-2.html - 昭和飛行機工業WEBサイト
https://www.showa-aircraft.co.jp - 横田基地の歴史 関東計画(1971-79)https://www.yokota.af.mil/Portals/44/Documents/Yokota_Journal/History/AFD-150929-002.pdf
- 鉄道ピクトリアル 1992年12月号