2024年に、開業130周年を迎えたJR青梅線。
元々は、沿線で採掘した石灰を運ぶための路線でした。
現在の東青梅付近から黒沢まで、浅野セメントの専用線を敷設。
僅か4年で廃止となった幻の廃線跡を辿りました。
目次
4年で廃線となった、青梅の石灰運搬線
石灰輸送で敷設された、青梅線
1894年に開通した青梅線。
かつては沿線で採掘される石灰石を輸送するために、重要な役割を担いました。
採掘場から石灰を運ぶ支線も各地にありました。
青梅線の開発は、当時の大手セメント会社・浅野セメントが大きく関わっています。
青梅線開通後、矢継ぎ早に採掘場を沿線で開拓します。
大掛かりだったのは、青梅・雷電山へ通じる二俣尾専用線。引込線・インクラインを使い、山を越えて石灰を運んでいました。
浅野セメント 黒沢専用軌道跡を探索
幻の浅野セメント・黒沢専用軌道
大正7年(1918年)浅野セメントが石炭石運搬のため、現在の東青梅付近から、黒沢まで専用軌道を敷設しました。
思ったほど産出量がなかったか、4年後の1922年に廃線。
短い期間のため、陸地測量部(現在の国土地理院)地図にも載らない「幻の廃線」です。
東青梅・黒沢間の鉄道
1974年発行 小曾木近代誌 より引用
大正七年 (一九一八) 、浅野セメント株式会社が、黒沢地内より石灰石が産出されることに着目し、駅付近より、青梅第四小学校、根ケ布天寧寺横を通り黒沢二丁目の柳内酒店前までに専用線を敷設した。将来は成木地内の梅ケ平までの延長を期していたということであるが、 石灰石の埋蔵量が当初の予想以下であったため、大正十一年 (一九二二年)六月に 廃止されてしまった。黒煙を出しながら走る貨物列車の姿を記憶している古老も少なくない。
この軌道の資料は少なく… 地元の方が発行した「小曾木近代誌」に多少記載があります。
他の資料も参考にしつつ、散策。
軌道の長さを地図で計測すると、約3.9kmほど。鉄道作家の大御所・宮脇俊三氏編著の書籍では3.6kmとのことです。どちらにしろ1時間強で歩けます。
JR東青梅駅から、天寧寺付近へ
廃線跡は、JR青梅線・東青梅駅の東側。現在の青梅市役所付近から、専用軌道が敷設されました。
専用軌道の敷設と同時に「師岡連絡所」が開業。現在の青梅線・千ヶ瀬バイパス(都道5号)の立体交差付近です。
専用軌道は「市役所前踏切」付近を通り…
東青梅駅手前で、北西方向へ分岐します。
東青梅駅北口付近を通り、成木街道方面へ。
旧青梅街道を横断。
軌道は、成木街道と合流、ほぼ併走します。
根ヶ布交差点付近で、天寧寺坂通り方面へと進みます。
根ヶ布交差点から500m弱進みと、右手に天寧寺が現れます。
天寧寺は、室町時代創建の古刹。境内には入間川支流・霞川源流の池もあります。
詳しくは梅の花咲く、青梅・天寧寺〜勝沼城 平将門を巡る小旅をどうぞ。
近くの虎柏神社は、平安時代・延長5年(927年)の「延喜式神名帳」にも記載された由緒ある神社。是非お立ち寄りを!
天寧寺から、黒沢へ
敷設当時の天寧寺付近を古地図で確認します。下図は廃線直後、大正15年(1926年)発行の地形図です。
現在と異なり、天寧寺への参拝は、成木街道からの参道だったようです。
つまり、天寧寺坂通りはなかったのかと。ただ、土園(土手)が2本描かれて、掘割はあった…これは、軌道跡なのでしょうか?
残念ながら、これより古い地図は入手できず、確認できません。
天寧寺から北へ700m弱、緩やかな坂を上ると峠に到着。霞川と黒沢川の分水の峠です。
軌道跡の道は、緩やかな下りとなり、厚沢通りを分け、なおも下ります。
峠から500mほど下ると、採石場跡・入口に到着。現在も私有地で、砂利の採掘をしている模様。ダンプカーなどの出入口があります。
さらに北へ進みます。進行方向左手には、広大な採石場跡が見えます。
現在は平地が広がっていますが… 石灰や砂利の採掘で地形が変わっています。
「峰向石灰山」とも呼ばれたその山は、標高250m以上でしたが… 現在は標高172m、約80m低くなりました。
伸びやかな道を下ると…
龍雲寺前に到着。天寧寺4世の開山とされる、曹洞宗の禅寺です。
軌道は採掘場内を走っていましたが… 私有地にて立ち入り禁止、迂回します。
坂を下り、寒念橋交差点を左折します。
成木街道(都道194号)を東へ進みます。
194号沿いにはトルコカフェRugTime’mutlulukもあります。黒沢では貴重なカフェで、サバサンドを始め、美味しいトルコ料理も頂けます。
左手には石灰採掘場跡。かつては、山だったのでしょう。
黒沢二丁目交差点に到着。この付近まで、専用線があったとされます。
さて、採掘場内はどのような所を走っていたのでしょうか?
上の地図は、東京都が1960年代に作成した1/3,000の測量図。山の斜面を回り込むように、道があります。推測ですが、これが軌道跡 !?
先の地図等を元に推測した軌道を、1946年の空中写真と合成してみました。地形との矛盾もないようですね。
さて、産出量が少なかったとはいえ、軌道が4年程度で廃止となるのも早急かなと…
こちらの資料では、このような記述があります。
近年の聴取調査によると、浅野セメント株式会社はそのころ、現日の出町大久野の勝峯山に目をつけ、買収交渉を行なっていたが、交渉が思うように進まない。そこで一計を案じ、勝峯山を断念するように見せかけ交渉を成功さるために黒沢に線路を引いたというのです。
青梅市文化財ニュース 第 41号 (PDF)より引用
これが事実ならば… なんというか、当て馬のような話です。
なお、大久野の石灰採掘場は、国鉄(現JR)が五日市線・岩井支線まで引いた大規模な石灰石鉱山です。
五日市線・岩井支線の詳細は上記をどうぞ。
青梅線には、他にも引込線がありました。併せて探索すると良いでしょう。
インフォメーション
近くのオススメスポット
参考文献
- 小曽木近代誌 (青梅市立第7小学校創立百周年記念誌)
小曾木近代誌執筆委員会編著 昭和49年 - 青梅市文化財ニュース 第41号
青梅市文化財保護指導員連絡協議会 青梅市郷土資料室 - 鉄道廃線跡を歩くⅦ
宮脇俊三 編著 JTB 発行 - Rail&Bikes WEBサイト
https://hkuma.com