標高929mの御岳山に鎮座する、青梅市・武蔵御嶽神社。
現在は北側・青梅からのケーブルカー登山が主流ですが…
かつては南側・日の出町からの「南御坂」が表参道でした。
いにしえに想いを馳せ、古地図を片手に南参道を散策しました。
古地図から読む、日の出町側からの御岳山・表参道
ケーブルカー登山が主流の、武蔵御嶽神社

武蔵御嶽神社は、標高929mの御岳山山頂に位置する古社。
関東全域の総鎮守として信仰され、多くの人々が訪れています。
夏のレンゲショウマも見事な、花の名山としても知られます。
武蔵御嶽神社・レンゲショウマの詳細は上記をどうぞ。

山上には「御師」と呼ばれる神職が住んでいます。御師は関東を中心に各地をまわり、信仰を広めました。
江戸時代に青梅街道が開通。宿場町も整備され、江戸からの参拝も盛んに。
青梅街道の歴史は上記をご覧下さい。
1934年(昭和9年)に、青梅市側の山麓からケーブルカーも開通。以来、ケーブルカーでの登山が主流となります。

標高831mまでケーブルカーで登れる御岳山。関東屈指の「ハイキングの山」としても人気を博します。
南御坂が表参道だった、武蔵御嶽神社

ケーブルカーでの登山・参拝が主流となった御岳山ですが、かつては数多くの参道もありました。代表的なのは下記の3道です。
- 日の出町からの「南御坂」
- あきる野・秋川渓谷が起点の「養沢道」
- 青梅・御岳からの「北御坂」
1896年・東京府発行の地図にも記載。
「レジャーとしての登山」の普及前、御岳山周辺は山岳信仰での登山が、主流の時代です。

© 東京府 (Licensed under CC BY 4.0)
では、この3道のうち「表参道」はどこだったのでしょうか?
曽ては秋川添いを日の出町大久野から登る道が、表参道として開かれておりましたが、近世になって青梅街道が整備されると、多摩川添いの北御坂が開かれてまいりました。
武蔵御嶽神社 武州みたけ創刊号より引用
御嶽神社が発行する「武州みたけ」によれば、南御坂が表参道です。
続けて読むと…
明治維新の折、南御坂の杉並木は伐採され、次第に多摩川を遡る北御坂が表参道に代っていき、昭和四年秋青梅鉄道が二俣尾より御嶽に延長され、やがて昭和十年元旦、ケーブルカーの開通は、南御坂を過去のものと忘れていかれました。
武蔵御嶽神社 武州みたけ創刊号より引用
明治維新以後、次第に北御坂が主流となり、ケーブルカーの開通で決定的になりました。
もっとも、略図の明治33年発行東京府管内全図では、南御坂のみ記載。明治時代御後半までは、表参道の利用が多かったのでしょう。
南御道を散策
武蔵引田駅から、平井へ
今回は、明治から大正時代の地図等を参考に、南御坂の参道付近を散策しました。

起点は、JR五日市線・武蔵引田駅です。
2025年現在、駅前再開発工事中のため係員の案内に従い、駅前から北に進みます。
駅から1.2kmほど進むと、永田橋通り(都道184号)に到着、左折します。

付近は立派な蔵の家も。
1924年(大正13年)の地図を見ると、この付近は村の中心部。
それなりに、栄えていたことが窺えます。
ちなみに1877年(明治10年)、平井村の人口は1,891人・373戸でした。

時を遡り、1856年・幕末の地図を見ると… 意外なことに、正規の五日市街道ではなく、平井を通るルートで記されています。
江戸時代、平井では月に3回、6・16・26日に市が開かれていました。
近くの伊奈は1・11・21日が市。2kmほど西の五日市では月に6回、末が0・5の日の開催です。

つまりこのルートの場合、月に12日間、それも3日連続で市が続きます。
江戸時代の庶民にとっては神社詣では、滅多にない遠出。参拝のついでに、買い物を楽しんでいたのでしょうか。

永田橋通りを西に進むと駐在所、小学校があります。この付近は昔、村役場もあった中心部でした。
平井から大久野へ

永田橋通りを西に進み、鹿の湯橋を渡ります。この付近、大岳山も望まれます。

道と並行する平井川。長閑な風景を楽しみつつ、歩きます。

鹿の湯橋から400mほど進むと、ラーメンショップの横に、御岳山の道標があります。

右が旧道ですが… 50mも進めば永田橋通りに戻ります。

沿道には、お洒落な町営住宅も。日の出町営住宅はデザインが良く人気です。
多摩産材を使用した物件も多いのだとか。

「かやくぼ」三叉路を左折し、秋川街道(都道31号)を西へ。ログハウスの郵便局が目を引きます。
郵便局の隣には、和洋スイーツの美味しい幸神堂も。イートインもあり小休止にピッタリです。

郵便局から100m強進むと、平井川・堀口橋に到着。
折角なので、左岸北側の天正寺に寄り道します。
大久野小学校の脇を通り、坂をひと登りすれば天正寺です。

天正寺は、曹洞宗の禅寺です。
創立は室町時代とされ、ご本尊は南北朝時代の木造聖観音坐像。

1882年(明治15年)の大火では、観音様を池に沈め焼失を免れた、という逸話もあります。

境内には、イチョウの大木も。秋に訪れたら壮観でしょうね。
大久野から、日の出山登山口・滝本へ

引き合して橋を渡ると、参道の碑(左)と、記念碑の道標(右)があります。
かすれて分かりにくいですが…道標には、「左 五日市 右 御嶽」と記されています。

いよいよ、ここからが参道です。
1910年(明治43年)の地図を見ると、若干ルートは違いますが、川沿いに南御坂が通っています。

川沿いの道に進み、新道と合流し北西に進みます。道標から約800m往くと、西側に工場と石灰石採掘場が現れます。
かつて、この工場まで五日市線・岩井支線がありました。詳細は上記をどうぞ!

コンクリート工場の対岸には、岩井院(がんせいいん)。天正寺と同じく、曹洞宗の禅寺です。

大正時代に石灰採掘場誘致のため、対岸に移転。
採掘場のある、勝峰山にあった神社の別当でした。

次第に沿道は、山里の装いに。

石灰石の採掘で知られる勝峰山も、間近に観えます。

旧道らしき道もあります。

岩井院から2km弱、路地を左折すると光明寺に到着します。

真言宗豊山派の寺院です。

本堂右の薬師堂は、1本のカヤの大木から作られたといわれます。日の出町の文化財に指定。

薬師堂の東には、熊野神社。

いかにも山里の、素朴な神社です。

神社からの展望も、中々。

平井川沿いの道を進みます。

光明寺から約2km進むと、2024年に開通した梅ヶ谷トンネル入口の三叉路に到着。

三叉路の北側に、御岳山・参道の道標があります。
1924年(大正13年)に裕仁親王(後の昭和天皇陛下)ご成婚を祝して設置しました。

道標の根元には、英語表記も。左は「御嶽神社」、右は「岩井停車場」と記されています。
青梅・御嶽駅開業の設置です。
今は廃線となった五日市線・岩田支線からの参拝客を見込んでいたのでしょう。
鉄道のみならば、南御坂にも勝算はあったでしょうが… ケーブルカーの計画は予想外だったのかも?

梅ヶ谷トンネル入口から、600mほど進みと、一ノ護王神社に到着。高台に拝殿があります。
参道最初の護符売社だった、一ノ護王神社。
創建は文久3年(1863年)、八王子千人同心・嶋崎伊右衛門が大己貴命を祀ったといわれます。
武蔵御嶽神社も大己貴命を祀り、参道に相応しい神社です。

神社の手前、新道の切通と分岐する、右の細い道が旧道です。

神社の高台の巻き道は路肩も狭く、車の通行が難しかったのでしょう。

1917年(大正6年)に切通が完成。

切通のたもとには、開通記念の碑もあります。

切通から1km弱で、日の出山登山口に到着。付近には立派な御師の家も点在します。
かつてはここで身支度をして、御岳山に向かったといいます。

つるつる温泉への道を分け、林道を往きます。

春ならば、沢沿いの道にハナネコノメも咲きます。

オブジェのある橋に到着。

この付近に小さな滝もあり、「滝本」と呼ばれていますが…
青梅側・北御坂の登山口も「滝本」で、対になっています。

かつての南御坂は、滝本から尾根道となります。
なお、日の出山〜滝本までの道は、軍畑から築瀬尾根を辿り、センブリ咲く日の出山へをどうぞ。
南御坂の登山道は意外と急登で、登りより下りで歩く方が楽しいです。
ここからは登山の装備が必要で、今回はここで引き返します。

日の出山登山口まで戻り、左折して10分弱歩けば、つるつる温泉に到着。
JR五日市線・武蔵五日市駅行きのバスがあります。土曜・休日はJR青梅線・青梅駅行きのバスも運行。立川・新宿方面へ帰るならば、青梅行きの方が便利です。
つるつる温泉で、ひと風呂浴びるのも良いでしょう。温泉併設のレストランではトマトうどんが人気です。
インフォメーション
マップ
JR武蔵引田駅 …〈20分〉 … 平井…〈1時間10分〉… 天正寺 …〈50分〉… 光明寺 …〈50分〉… 日の出山登山口 …〈40分〉… 不動尊…〈40分〉… つるつる温泉
ー計3時間50分ー
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参考文献
- 武州みたけ
発行:武蔵御嶽神社 - 五日市の古道と地名
発行:五日市町教育委員会 製作:五日市町立五日市町博物館 - 東京府郡区全図(明治29年)
発行:東京府