あきる野市・深沢。秋川の支流・深沢川に沿った東京の山里です。
延喜式神明帳にも載る、穴澤天神社、豪農・深澤家屋敷跡…
平安時代から明治にかけての史跡が点在します。
訪れる人も疎らな歴史の道を訪ねました。
秋川支流・深沢川流域の、歴史散策
武蔵五日市駅から、穴澤天神社へ
東京都・西部のあきる野市。秋川渓谷をはじめ、自然豊かなエリアです。
秋川支流の深沢川流域は、古社・穴澤天神社を始め、歴史探索も楽しめます。

起点は、JR五日市線・武蔵五日市駅。2025年夏、駅前に多目的公共施設・フレア五日市もオープンしました。
更衣室なども備えられ、アウトドアでの身支度にも最適です。

駅前から檜原街道(都道33号)を西へ400mほど進み、「西部信用金庫」前の交差点を右折。

宿場町の喧騒から離れ、のどかな道を歩きます。

日の出町・大久野方面からの道と合流。史跡案内の道標もあります。

檜原街道の分岐から2km弱歩くと、穴澤天神社に到着します。
神社の東には「自然人村」キャンプ場。手ぶらでBBQも楽しめる、人気の施設です。

訪れる人も少ない神社ですが…
平安時代、朝廷が編さんした「延喜式神名帳」にも載る、由緒ある神社です。
多摩地方には8座・18社あり、あきる野市内には他に阿伎留神社があります。武蔵五日市駅からも徒歩圏内、帰りに立ち寄るのも良いでしょう。

穴澤天神社の主神は、高皇産霊神(タカミムスヒノカミ)、神皇産霊神(カミムスビノカミ)。
共に、日本神話で天地創造の際、高天原に現れた最初の神々(造化三神)です。
いってみれば、天照大神の先祖に当たります。「天神社」ですが、菅原道真公とは、関係ありません。

拝殿の後ろには本殿も。背後の森に囲まれ、独特の趣があります。
穴澤天神社から、深澤家屋敷跡へ

穴澤天神社から、さらに上流へ。
沿道には、造形作家・友永詔三氏の森の妖精・ZiZi(ジィージィー)が所々、出現します。

道幅の狭い道を登ります。

深沢川の清流沿いを散策。

穴澤天神社から、約1.3km歩くと「深沢小さな美術館」入口に到着。
入場料は800円(2025年現在)です。

沿道に飾られたZiZiの作者、友永詔三氏の美術館です。
友永さんは、1979年から1982年に放送した「プリンプリン物語」の人形を担当。
美術館ではプリンセス・プリンプリンをはじめ、多数の人形を展示!
昭和世代にはたまらない美術館です。
かつては館内にカフェもありましたが、2025年現在休業しています。

美術館から200mほど進むと、真光院に到着。臨済宗建長寺派の禅寺です。
1486年・戦国時代の創建、開基は大田道灌とのこと。
道灌が亡くなる年にあたり、晩年の仕事だったのでしょうか?

真光院から50m西に進みと、深沢家屋敷跡入口に到着。狭い未舗装の道を往きます。
深澤家屋敷跡は1983年、東京都の史跡に指定されました。

深澤家は、広大な山林を所有した地元の名士。
また、千人同心株も所有したとの記録もあります。
千人同心とは、江戸幕府直属の治安維持組織。主に日光東照宮の警備などを行いました。
同心の職務・資格を享受する権利が、千人同心株。
千人同心は「半農半武士」の地位で、地元の豪農にとってはある種のステータス、だったのでしょうか?

明治時代初期の当主・深澤権八は、いわゆるインテリ。自宅の土蔵には、多くの書物があったといいます。1968年、土蔵から「五日市憲法草案」が発見されます。
「五日市憲法草案」は、大日本帝国憲法発令の数年前に、作成されたといいます。
あくまで「民間案」に過ぎませんが、人権保障や地方自治を重視した近代的な草案でした。

母屋は大正時代に小金井に移築された、とのこと。
「夏草や兵どもが夢の跡」を彷彿する、少し侘しい光景です。
帰りは往路を戻ります。少し寄り道して、五日市郷土館に寄るのも良いでしょう。
インフォメーション
マップ
JR武蔵五日市駅 …〈45分〉… 穴澤天神社… 〈15分〉…深沢小さな美術館 …〈5分〉… 深澤家屋敷跡
ー計1時間5分(往路のみ)ー