青梅・あきる野は奥多摩か?「奥多摩」はいかにして、奥多摩となったのか?

東京西部の「奥多摩」。
青梅やあきる野は「奥多摩」なのか、曖昧な部分も。
漠然とした「奥多摩」ですが、意外な歴史が隠されています。
国立公園の父・本田静六との関係も考察し、紐解きます。

国立公園と観光施策の狭間で誕生した、奥多摩

青梅やあきる野・檜原は奥多摩か?

奥多摩町・雲取山

テレビなどで青梅・あきる野などの景勝地を紹介する際、「奥多摩」と一括りにすることがあります。
一部の地元民からは

「御岳は青梅市内だから、奥多摩と言うな」
「青梅を奥多摩と紹介するのは、奥多摩町民としては不愉快」


といった声があがります。

青梅市・へそまんじゅう

一方、青梅・日向和田の「へそまんじゅう」は「奥多摩名物」。
あきる野・中村酒造には「千代鶴 特別純米 奥多摩」という銘酒も。

青梅市・下奥多摩橋からの多摩川

多摩川に架かる「奥多摩橋」「下奥多摩橋」は、靑梅市の橋です。
どうやら、歴史的には青梅・あきる野は「奥多摩」だったと推察できます。
では「奥多摩」のいう名称とは、どのような由来なのでしょうか?

「奥多摩」の地名は、観光施策で生まれた

青梅市・御嶽駅

「奥多摩」の名が登場したのは約100年前、大正末期と思われます。
青梅線・青梅〜二俣尾駅間が開業は1920年、二俣尾〜御嶽駅間は1929年。
沿線の観光誘致に力を入れ始めた時代、「奥多摩保勝会」が結成されました。
現在でいうところの、観光協会のようなモノです。

本多静六
See page for author, Public domain, via Wikimedia Commons

会の立ち上げにあたり、森林学者の本多静六博士に相談し、「奥多摩保勝会」と命名。
つまり、「奥多摩」は観光施策として考案された地名です。

観光施策での命名というと、いかにも胡散臭く聞こえますが…
本多静六は、日本初の近代的な洋風公園・日比谷公園の設計を手掛けた人物。
「日本の公園の父」ともいわれています。

青梅市市街地からの大岳山

本多静六は、国立公園の設立にも尽力。
1930年、国立公園調査会の委員に就任し、国立公園の制度設計にも携わります。
同年、奥多摩保勝会は本多静六に依頼し、多摩川流域を調査依頼。
「奥多摩天然公園計画概要」という書物にまとめました。

檜原村・三頭山

出版の翌年、1931年に国立公園法が制定。
これは憶測ですが…その動きを念頭に出版したと思われます。
そして、現在の秩父多摩甲斐国立公園の設立に、大きな影響を与えました。

つまり、単なる観光施策というよりも…
「奥多摩」は国立公園を視野に入れたネーミング、と考えるのが妥当でしょう。

昭和初期は、羽村も「奥多摩」だった

羽村市・羽村の堰

では命名者たる奥多摩保勝会は、どこまでを「奥多摩」と捉えていたのでしょうか?
1925年に青梅鉄道(青梅線の前身)と奥多摩保勝会が「奥多摩川探勝案内」というリーフレットを刊行。
そこでは、東は羽村の堰、西は雲取山まで紹介されています。
鉄道会社との共書、なるべく沿線景勝地を紹介したい意図はあるにせよ…
かなり広い範囲を「奥多摩」として扱っています。
また、多摩川の支流、秋川も紹介、本流以外も「奥多摩」との認識です。

多摩川の源流・笠取山

では、山岳地については、どこまでが「奥多摩」だったのでしょうか?
発行年代は不明ですが、奥多摩保勝会が発行した「奥多摩アルプス」では…
東は高水山・御嶽山、西はなんと、大菩薩や笠取山・柳沢峠まで紹介しています。
つまり、多摩川水系源流の山は「奥多摩」という認識だったのでしょう。

メインの登山口が甲州市(塩山)側ということもあり…
現在は、大菩薩や笠取山は「奥多摩」とは呼ばないけれど、当時は合理性もあったのかと。

全国区となった奥多摩

奥多摩町・鳩ノ巣渓谷付近

1927年、大阪毎日新聞社・東京日日新聞社主催、鉄道省後援の「日本百景」に「奥多摩渓谷」が選出。「奥多摩」が全国ブランドとなりました。

日本百景は、海岸、山岳、小沼、渓谷など8部門での選出。
奥多摩は渓谷部門での選出となりました。当時の旅行ガイドを調べると「奥多摩」というよりも「奥多摩渓谷」としての紹介が多いです。
では「奥多摩渓谷」は具体的に、どこを指していたのでしょうか?

青梅市・御岳渓谷

やはりというべきか…
1929年に鉄道が開通した御嶽駅近くの「射山渓」がメイン。

出典: 日本百景 奥多摩渓谷勝景 奥多摩ヨササ節入 たましん地域文化財団/
デジタルアーカイブ(CC BY 4.0)

戦前の資料と思われるが、御岳渓谷には、ロッジ風の山の家などもあった


射山渓は、現在の青梅・御岳渓谷です。
1930年には、「東京近郊日がへりの行楽」といったガイドブックでも紹介。
やはり、交通の便の良い観光地がクローズアップされます。

時事新報社 編『時事年鑑』昭和11年版 時事新報社
国立国会図書館デジタルコレクションより引用

当時の時事年間を紐解くと…
奥多摩の中心地が御岳近辺、氷川や小河内は「上奥多摩」と称されていました。

一方「渓谷」として有名となった「奥多摩」のイメージは、渓谷沿いとその周辺にシフトします。
多摩川が渓谷らしくなるのは、青梅の釜の淵公園辺り。
その上流付近からが、「奥多摩」の核心地となったのでしょう。

地名と自治体名の、微妙な違い

奥多摩町・奥多摩湖

と、戦前は広い範囲が「奥多摩」でしたが…
1955年、氷川町・古里村・小河内村の1町2村が合併し、奥多摩町が誕生。
観光施策での造語がついに、パブリックな地名となります。
「奥多摩」のネームバリューからすれば、当然といえば当然なのかと。

奥多摩町・海沢渓谷

ここで、世間一般の「奥多摩」と「奥多摩町」の間で、ズレが生じます。

テレビなどでは、日本百景時代からすり込まれた、「広域エリアの奥多摩」。
地元民的には「自治体名の奥多摩」。

入間市の茶畑

このような、広域を指す地名を自治体名とすると、混乱や誤解を招きます。
例えば「入間市」と「狭山市」。
元々、埼玉南部から東京の一部を「狭山」と呼んでいましたが…
狭山市が先に市制したため、あたかも他のエリアは「狭山」ではないイメージに。
実は「狭山茶」の約60%は入間市で生産されていますが、多くの人は知らないでしょう。
入間市としては、決してよい気分ではないかと。

奥多摩のブランド力は?

檜原村・槇寄山からの富士山

奥多摩町発足以来、青梅や五日市(現 あきる野)での観光施策では「奥多摩」の名称は、積極的に打ち出しにくくなります。
例えば御岳渓谷を紹介で、かつてのように「奥多摩渓谷」とすれば、混乱を招くでしょう。

るるぶ秩父 奥多摩 高尾山
出典:JTBパブリッシング WEBサイト

旅行ガイドでは、どのような取り扱いでしょうか?
JTBパブリシングの「2025年版 るるぶ 秩父 奥多摩 高尾山」を例に紐解きましょう。
奥多摩町のほか、青梅やあきる野など他の西多摩エリアも紹介するムックです。

青梅市・武蔵御嶽神社

本のタイトルは「奥多摩」ですが…
奥多摩町は9ページ、青梅市内は10ページ、あきる野市・檜原村は8ページと、他の市町村にページを割いています。
タイトルに反して、意外と奥多摩町が少ないのですね。

綿密なマーケティングのもと、構成された旅行ガイド。
ネームバリューのある「奥多摩」を前面に出した方が売れる、という判断なのでしょう。

青梅市、あきる野市、奥多摩町の年間観光客数を見ると…
実は青梅市がダントツに多く、あきる野市、奥多摩町と続きます。
来訪者が「奥多摩」へ行ったつもりでも、そこは青梅やあきる野だった…
ということも多いのでしょう。

青梅市・御岳山からの日の出山
日の出山は青梅市と日の出町の境界に位置するが、意外と知られていない

観光客は自治体がどこかなんて気にしません。
例えば江ノ島は藤沢市ですが…
大半の人は「藤沢へ行った」とは思わないし、そんなモノです。

西多摩の観光地はアクセスの関係上、青梅市〜奥多摩町など、複数の自治体を周遊することも多いです。
ブランド力を考えると、奥多摩町のみを「奥多摩」と限定するのは得策ではないでしょう。
これ他の自治体はもちろん、当の奥多摩町にとっても不利かと。

奥多摩町・雲取山からの夕景

「奥多摩」の名付け親・本多静六が構想を元に具現化した、秩父多摩甲斐国立公園。
都内では、青梅市・あきる野市・日の出町・奥多摩町・檜原村の2市2町1村に跨がっています。
歴史的経緯からも、世間での認識としても…
市街地はともかく、この範囲を「奥多摩」とするのが、西多摩全体の観光施策としては望ましいのかと。

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参考文献

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